すきなことだけ

鼻歌混じりで話す月夜

2018年7月15日、安田担が見た GR8EST 札幌公演

2018年7月15日、関ジャニ∞のツアー GR8ESTの札幌公演が行われた。

札幌公演はツアーの初日、6人になった関ジャニ∞が初めて姿を見せる日。

わたしは例の4月15日に、いてもたってもいられなくて札幌行きの飛行機とホテルを予約した。その日からの3か月は長いようで短くて、わたしはずっとすばるくんがいなくなることが信じられなかった。何言ってんだ、コイツと思われるかもしれないけど、いつも通りテレビの中で7人が笑っているのと、きっと受け入れたくないのとで「え?ホンマにすばるくんいなくなるん??」って思ってた。

やっと6人になることを実感したのは、7人での最後のテレビ出演となった関ジャムの放送を見たときで。亮ちゃんから最後に出た「寂しかった」という言葉と涙、LIFEの最後にすばるくんが「eighter!」と呼んでくれたことが嬉しくて、悲しくて…こんなにギリギリにならないと実感できない自分をバカだなぁと思う。

 

それに加えて、7月2日にファンクラブからメールが来ていた。「安田章大の体調に関するご報告」と書かれているのを見て、寒気がしたし、スマホを触る手は少し震えていた。安田章大さんは、わたしの自坦だ。

1人で震えながら見た動画では、安田さんの口から「昨年の2月に髄膜腫の摘出手術をしたこと」「今年の4月に背中と腰を骨折して、今も治療中ということ」「ライブでは100%のパフォーマンスはできないこと」が説明されていた。正直、もう今後ステージに立てない最悪の状況も一瞬頭をよぎっていたので、治るものだと知って少しほっとした。

この件に関しては、自分でも驚くくらい、すんなりと受け止めていた(実際翌日には東京へ元気に遊びに行った)。今回のタイミングがなければ、腫瘍も骨折も一生知ることはなかっただろうと思うと、わたしは彼のことを何も知らずに応援しているんだなぁと少しポッカリした気持ちにもなったけど、アイドルとして完璧にわたしたちを騙してくれていたことがプロとして凄まじいし、わたしのすきな安田さんらしいなぁと思ってしまった。

病気はいつ、誰がなるかわからないし、突然襲われるもの。生きててくれただけでよかった。本当に。周りのお友達は心配してくれたけど「生きててくれただけでいい、本当によかった」という、一種の境地みたいなところにいた。ライブ出演も何よりも安田さんとメンバーが「やる」と言っているんだから、心配だけど応援するしかないと、案外あっさり受け入れたつもりだった。

 

あっという間にやってきた7月15日、札幌公演の恒例みたいになっているトラブル(一昨年は大寒波、昨年は猛暑)でわたしの乗った飛行機も、少し遅延はあったものの無事に開演時間に札幌ドームにいることができた。

始まる前は、今まで聞いたことのない大きさのエイトコールが起こっていた。少しでも6人の力になればと思って、わたしも一緒に入っていた友人もエイトコールをするけど、みんな なんだか涙が出てきそうになって、なかなかコールし続けることができなかった。

 

ここからは盛大にネタバレしているので、大丈夫な方だけ進んでください。

自分的初日は何も知らない状態で入るのは とても楽しいし、わたしも大好きです。

あと、書き終わって読んでみたけど、めっちゃ長い…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

17:15頃、OP映像が流れ出て、セッティングされていたバンドセットの中に、気付くと6人が立っていた。「ホンマにすばるくん、いぃひん」って、どこか冷静に眺めていた。

今日は双眼鏡をあんまり使わず、みんなを見ようかな~と思っていたけど、すぐに覗いてしまった。本当はこんなことしてほしくないだろうけど、安田さんの近くに椅子が置いてあるか、安田さん自身がどんな様子か確認するためだった。椅子は用意されていなくて、ところどころ座ったりするのかと思っていたけど、そうではないらしい(後で冷静に考えると、立ったり座ったりを繰り返す方が大変なのかもしれない)。普段は楽しそうに音や感情のままに動きながらギターを弾くのに、ほとんど動かずに演奏しているのを見ると、なんだか心がグッとなった。

 1曲目が終わってからの、亮ちゃんの挨拶ではすばるくんがいないことを「歯医者さんに行った後みたいな違和感」という絶妙な例えで話をしていた。まさにそんな感じで、すばるくんのパートだったところを他のメンバーが歌っているのも、違和感。1曲目を聴いていても、泣きそうだったけど、涙は出なかった。

 

最初に涙が出たのは、2~3曲終わってメンバーが少し会話した中で、安田さんが話し出したときだった。すごく穏やかな話し方だったことは覚えているけど、何を言ったのかは覚えていない。たぶんたわいもないこと。悲しいや寂しい涙じゃなくて、ほっとした、って感じだった。いつも通りの安田さんの声を聴けて、すごく安心したのだと思う。そこからは、涙腺もゆるゆるになって、いろんな場面で泣いていた。

 

どこか硬かったメンバーと会場の空気が和らいだのは、9曲目のズッコケからだったような気がする。横山さんがマイクを手に持って、不器用な感じで前に前に出てきてくれたのは、みんなを笑顔にしてくれたと思う。これくらいから、安田さんも益々楽しくなってきちゃったのか、表情もどんどん豊かになっていって、少しずつ動きが大きくなるのを少し心配しながらも嬉しく見ていた。

 

ライブも後半に差し掛かったくらいで、村上くんが新・たこ焼きオールスターズ(サポートメンバーの皆さん)を紹介し終わって、はけて行ったときに、ステージの上にスタンバイしている人影が見えた。友人と「誰かいるね」「ホンマや」と話していると、耳慣れた曲のイントロが流れた。

わたし鏡だった。

ステージの1番上でギター1本抱えて、1人でライトを浴びて歌い出した安田さんを見て涙がでた。普段おっとりしてると言われる自分でもびっくりの反射神経だったと思う。思わず両手で顔を覆って、思いっきりうつむいて、自分で思い出して引くほどの号泣だった。両側にいた友人があったかい手で背中をさすってくれて、ちゃんと見ないとと思って流れる涙をほっといて、一生懸命に観た。

歌詞の中に「はよ会いたい」ってゆうのがあるんだけど、そこをとても優しい顔で「はよ会いたかったぁ」って言ってくれて、また涙の量が増えた。わたしたちだって、はよ会いたかった。

踊れない、素早くは動けない現状の中での、これしかない仕方のない選曲だったのかもしれないけど、やすくんがレンジャーやボク。で伝えていてくれた「みんなに会いたい」ってゆうのが、すごくすごく伝わってきて。どの曲でもできる状況だったとしても、これしかないと思える素敵な選曲だったと思う。わたし鏡を聴ける嬉しさもあったけど、今このタイミングでわたし鏡を歌ってくれたことに嬉しくて泣いた。やすくんが歌で伝えてくれる「会いたかった」ということが、あたたかくてとても嬉しかった。

この日のわたし鏡を歌うやすくんのこと、わたしは一生忘れないと思う。

 

今、思い返すと、腫瘍や骨折のことを知って、自分ではあっさりしていたつもりだったけど、やっぱりすごく心配だったんだと思う。

自分で言うのもアレだけど、わたしはドライなところがあると思う。相手に自分の考えを押し付けるのは嫌いだし、押し付けられるのも嫌。相手が悩んで決めたことに、自分の都合や感情でとやかく口出しをすべきでないと思っている。

だから、やすくんがステージに立つなら応援する。きっと変に心配してほしくないだろうから、できるだけ普通にしていたい。そう思っていたけど、最初に涙が出たときも、わたし鏡のときも ほっとした嬉しい感覚があって、やっぱり心配で心が硬くなっていたんだと思う。

ここまで長々と書いていて、ばれていると思うけどライブ中も全体を見ようと思っても、結局気付くと多くの時間を安田さんを目で追ってしまっていた。6人のスタートをもちろん見届けたい気持ちだったけど、結局は安田さんのことばかりで、とんだ心配性のお節介おばさんだ。実際に札幌で見た安田さんは、普段と動きやできることは違っていたけど、変わらない演奏と歌声と笑顔で、いつも通りのアイドルだった。何より、レンジャーに書いていてくれたように、周りのメンバーがそっと気遣ってくれている場面が何度もあって、とても頼もしかったし、微笑ましい光景だった。

彼のレンジャーの言葉を借りると、確かにわたしの観てきた安田章大とは少し違う部分もあったけど、今のありのままで諦めずに歩みを止めない姿は、とても素敵だったし、それはやっぱり 今まで観てきた安田章大の延長線上にある姿だったと思う。

 

泣いた話ばっかり書いているけど、もちろん関ジャニ∞らしく楽しい部分もたくさんあったし、嬉しいサプライズ的な曲もあった。わたし鏡の次に始まったtornのイントロ聴いて、あれだけシクシク泣いていたのに「ぅえええええええ~~~~~~~~!!?!?!?!?」って叫んだから!バクステ方面のスタンドにいたので、曲の終盤で二人がサーッとトロッコで運ばれてきたときも「えぇぇ、来る??!?!?来るやん~~~こわい~~~~~!!!?!?!?!」って、発狂した。今までで聞いたライブの歓声の中でも1番くらいに凄まじかった。まじで30代男性の大人のtornはすごい。小さい子に見せたらあかん。あとパンぱんだちゃんたちを見て「可愛い…え、めっちゃ可愛い…」と、可愛い以外の語彙力も失った。

 

札幌には最初は行かない予定だったけど、行ってよかった。

ライブを観て、そして4月からもずっと感じていたのは、ファンはとても大切にされているなぁということだった。会見を行ってくれたこと。ライブでは大阪ロマネスクの出だしを、全員で歌ってくれて、歌割りも変更して新しい曲にしてくれたこと。キングオブ男の「突っ張って」のパートは亮ちゃん1人になったこと。すばるくんがいたことをなかったことにはせず、話して、一緒に乗り越えようと手を引こうとしてくれること。ファンの考えそうなことなんてお見通しで、いろいろ分かったうえで、考慮して決めてくれていた。本当にありがとう。

いろんな想いを抱えながら、ステージ上にいてくれるメンバーの気迫を感じて、この人たちを応援するしかないなぁって気持ちになった。もちろん寂しさ、違和感はあるし、これと向き合っていくのは1人ひとりのペースや考え方があることだと思う。何年かかるか、何十年かかるか、もう蓋をして封印しちゃう人もいるかもしれない。でも、周りとは比べる必要もないし、1人ひとりが自分に素直に、そして自分を大切にしていってほしいなぁと思います。

わたしも違和感がなくなる日なんて、今は来ないような気さえしている。でも、「生きててくれただけでいい、本当によかった」の境地にいる今の自分は、なかなか強いとも思う。

2018年4月15日

久しぶりにブログを開いたら、前回が大倉くん不在の元気コンについての投稿で、自分がメンバーが欠けるときだけブログをしたためる奴みたいで嫌だなぁと思ってしまった。

そんな わたしの気持ちの整理と記録のためだけの、そんな内容です。

 

関ジャニ∞渋谷すばるさんが年内で退所のを発表した。

 

4月15日(日)は10時頃に起きて、まず友人からの「ファンクラブからメールが来てる、怖い…」という旨のLINEを見てから例のメールを確認した。のんきな性格なので、最初は、お?海外公演のお知らせか?と思ったけど、「メンバーからのお知らせ」という一文を見てからは、時間が過ぎるのがとても遅く感じた。気を紛らわすために数か月ぶりにツムツムなんてやってみた。全然気は紛れなかったけど。

11時にウェブを見ようとするけど全然繋がらず、我慢できずに ついTwitterを見てしまったら、すばるくんが退所すると言っている人がいる。半信半疑のまま、もう一度ウェブを見るとメンバーのメッセージが出ていて目を通したけれど、全然理解ができなくて、涙も全く出なかった。

呆然としていると、あっという間に12時になってテレビで会見の映像が流れだした。画面の中では好きな人たちが淡々と話していて、別世界の話みたいで。やすくんがいないことに気付いたときに「ジャーーン!ドッキリでしたーーー!!!」とか言いながら、飛び出てこないかなぁとか考えていた。(やすくんの怪我も心配…)

あっという間に映像は終わって、あぁ壮大なドッキリでも嘘でもないのかぁ…って、もう一度ウェブのメッセージを読んだら、やっとそこで涙が出てきた。ちょうど大倉くんの文章のところだったと思う。

 

あの日から2週間が経つけど、ぐるぐると同じことを考えている。

好きだから嘘だと思いたい、どこへも行かないで、今までみたいに7人の真ん中で歌ってほしい、ずっと7人で一緒に笑っていてほしいって思うのに、

好きだから会見やスバラジでのすばるくんの言葉に嘘はないってわかるし、そんなに望む場所があるなら挑戦してほしいし、それを応援したいって思う。

同じ“好き”ということが、真逆の2つのことを生み出していて、前者はいずれ手離さないといけないことはわかってるけど、そんなに簡単には割り切れない。それも、好きだからなんだよなぁ~、と、ひたすらにぐるぐる。

 

ジャニ勉、関ジャム、クロニクル…番組を見ていると普段通りで、なんだか夢だったかなぁと思ってしまう瞬間もあるけれど、

ニュースで流れる会見の様子や、TLでのツイート、レンジャーの文章、メンバーのラジオを見聞きして、やっぱり現実だったかと引き戻される。これも何度もループしている。

 

大倉くんと髙橋くんを聞いてから、少しはこのループもマシになったように感じている。2人の話していることが、今の自分の気持ちのままでいいよ~大丈夫だよ~と言ってくれているように感じたから。

でも、きっと6人でステージに立つのを見るまでは、ずっと繰り返される気がしている。

6人がどんなバランスになるのか、6人のステージを見て自分が何を思うのか、今は全然わからない。わたしは7人の関ジャニ∞しか知らないし、本当は6人の関ジャニ∞なんて知りたくもなかった。それが目の前に現実として突きつけられる日が来てしまうのが怖い。でも、覚悟を決めた彼らのことをこの目で見たいと思う。そして、すばるくんがこの先どんな道をどんな風に歩くのかも。その姿を見て、どう思うか予想がつかないけど、7人のことが好きということはきっと変わらない。

7月までに何か自分の中で変化があるかはわからないけれど、逃げずにしっかりと見届けたい。札幌行きの飛行機とホテルを予約した。

1月17日の、その後

こんにちは、もう少しで1月も終わってしまいますね・・

今日は我らが村上信五さんのお誕生日、そしてリサイタルのフラゲ日でわいわいとした日になっています。良い日です。

 

前の記事で、気付くと膨大な文章を打ってしまっていて自分でもびっくりしましたが、もう少しだけお話させてください。

これこそ、わたしの自分の気持ちを整理するためのような、自己満足なものになると思うので、めちゃめちゃ暇で、どうしようもないときにだけ読んでいただければ…。

 

 

17日の終演後は、お友だちと梅田で飲みながらお話していました。

もう飲まずにはいられない、という方が正しいかもしれません。無性に1人になりたくなかったし、気持ちがいっぱいいっぱいで、1人になると泣いてしまいそうな気がしていたのです。

 

公演の話も最初はびっくりしたね、大倉くん大丈夫かな・・とか、ふわっとしか話せなくて。でも、話さずにはいられなくてお酒を飲みながら、少しずつゆっくりと話していきました。

具体的に「ここがこうだったね」「あそこはああやった」と話すと、鮮明な映像が頭で再生されて、泣きそうになる。でも、この気持ちを1人では抱えきれなくて。あぁ、みんなもそう思ってたんだって、寄り添い合うような気持ちでした。

 

それでも、電車の時間の都合で解散しなければいけなくて。

わたしは「嫌や、帰りたくない~1人にしんといて~」と駄々をこねていました。だって、1人になったらきっと泣いてしまうから。寂しい気持ちに支配されてしまいそうだったから。

案の定、1人の帰り道は最初はがんばって違うことを考えようとしていても、やっぱり頭の中に公演のことがキレイによみがえってきて。我慢しきれずに、涙を少しだけこぼしてしまいました。電車がガラガラで、本当によかった。

我慢して我慢して、家に辿り着いて、自分の部屋に入ってぼんやりしていたら、自然に涙が流れていました。いつものライブは、あんまり記憶がキレイに残らないときもあるんです。でも、この公演の記憶は悔しいくらいにバッチリ残っていて。なんで、こんなときばっかり!って思いました。

いつもなら楽しみなtwitterのレポや、いろんな人の感想も見ると、ただでさえ泣きそうなのに、間違いなく号泣してしまうし、寂しい気持ちがよみがえりすぎて、全く読めませんでした。

 

次の日、もちろん仕事に向かいましたが、常にふわふわした気持ちで。1人でいるときに気を抜くと、まだ泣きそうになっていました。

お昼休憩に携帯で、丸山さんの「大切な日」を見ると、昨日のことに対する記事が書いてあって・・サッと目に入った文字だけで目が潤んでしまったので、一瞬で携帯を閉じて、ご飯に集中。帰ってから読むと、予想通りにまた泣いていました。

 

その次の日も、また次の日もふわふわした気持ちは消えなくて。でも小さくなっていきました。

イメージとしては、悲しい寂しい17日の気持ちを、引き出しに片付けていっている感じ。消えて無くなるような小さくなるではなく、自分の中に落とし込んでいくような、整理していくような。

実際、朝起きた瞬間から悲しい気持ちになることはないし、ぼーっとせずに元気に働いているし、食欲もあってご飯は美味しいし、日常生活も楽しめていました。

でも、消えていないからこそ、何かをきっかけにバーンと、その引き出しが開いて、気持ちが飛び出してきて、また泣きそうになることだってありました。

 

先週の土曜、23:30からは「オールナイトニッポン 大倉くんと高橋くん」の放送がありました。

そこで大倉くん本人の元気な笑い声や、その日の話を彼の口から聞くことができで、やっとやっと心があたたかくなった気がします。ほっとして、安心しました。

実は、この日まで関ジャニ∞の曲を聴くことができませんでした。17日のセトリに入っているものは、もちろん大倉くんの歌声を聞くとギュッと寂しくなって、泣きそうになってしまって。

この日、大倉くんの口からいろんな話を聞くことができてから、やっといつもの通り過ごせている気がします。どこか冷たいまんまだった、心が普段どおりの体温を取り戻していると思います。メンバーのソロの舞台やライブの情報、映画の予告も楽しく見れるし、お誕生日だってしあわせにお祝いできました。もうふわふわとは、全くしていません。楽しいこと・嬉しいことが素直に受け止められる、曲だって聴いています。

 

でも、あの気持ちが心から消えてなくなることはないと思います。自分の一部になっているような・・もう沁み込んでいるような感覚です。

無くならないけど、それが嫌だという気持ちもありません。

無くしたくない、というより、心の片隅にずっといてもいいよ。もう自分の一部になって、受け入れている。という方がしっくりくるかもしれないです。

 

あとは7人が揃ったステージを見たら、やっとひとつの区切りがつくのかなぁとも思います。気持ちに決着がつくような。

大倉くんの声をラジオで聞いてから、余計にそんな気がしているので、また冬か・・夏になるかはわかりませんが、ライブが待ち遠しくて仕方ありません。

 

1公演を病気で1人が出れなくて、メンバーも大丈夫、大丈夫やで、って伝えてくれて。いなくなったわけではないのに、この受けたショックの大きさ・・どこか冷静に「あぁ、思ってたより17日の衝撃はすごかったんやなぁ。それに7人のこと自分でも思ってたよりず~~~っと好きなんやなぁ」って、考えている自分もいます。

早く元気に笑う7人に会いに行きたいです。

 

 

最後に、17日のことばかり書くと切ないライブの思い出のように感じますが、それまでの公演は本当に本当に楽しかったんです!たくさんの笑顔と元気をもらいました!

twitterでつぶやくには、今さら感があるので・・・また、その楽しかったよってことも、コチラで書ければいいなと思っています。そうです、また書きにこようかと思ってます。

いつになるかはわかりませんが、また近いうちに・・。

1月17日のこと(3)

ライブ中、いろんなところで6人が、それぞれのやり方でファンのため、大倉くんのためを考えて動いて、言葉を発してくれているのがわかりました。おそらく最低限のスタンスや歌割りだけ決めて、多くは個人の判断に委ねられていたと思います。

どうしても出てしまう綻びも、6人がお互いをフォローし合って、乗り越えていっているのも伝わってきました。

大倉くんがいない状況でも、自分たちもやると決めたし、みんなも6人でもやってほしいと言ってくれるからにはやり通す。絶対に俺たちが楽しませるし、大倉のためにも成功させてみせる!みたいな気迫がすごくて。それは、時に痛々しく見えるくらいでした。


いつもメンバーは挨拶なんかで「俺たちを支えてくれて、ありがとう」って言ってくれるけど、こっちの方が支えてもらって、笑顔にしてもらってばっかりだと思っていました。
でも、この日はおこがましいかもしれないけど、確かにお互いに支え合っていたような気がしています。いつも以上にわたしたちを笑顔にしようとするメンバーにしっかり支えてもらって、メンバーも普段よりも大きな大きな声援に支えられていたのかなって思えて。


45,006人が「大倉くんがいないとダメだ」って思っていたと思います。
その大きな穴を埋めて消してキレイに見せるんじゃなくて、そのままにして大倉くんの居場所を守りながら、できる限りファンが笑顔になれるようにしてくれた6人とスタッフの方々。
そのままの彼の居場所に、いないのに存在を感じて泣いてしまう場面もあったけど、懸命に盛り上げてくれる6人に応えたファンのみんな、エイターたち。
みんなが悲しい、寂しい、悔しい気持ちを抱えて。時に、じわっと滲み出したり、ぼろぼろ零したりしながら過ごした時間でした。
前代未聞のオーラスは、泣いて笑って泣いてで、なんだか関ジャニ∞の7人の絆や、エイトとエイターの絆を感じた日でした。

あたたかいライブだった、とは 手放しには言えません。不完全燃焼なのも事実です。

でも、たくさんの寂しい悔しい苦しい気持ちがパンパンに詰まっているけど、それをどうにか笑って、楽しんでいこうと頑張っていました。

「これは壮大なコントや!」と、もはやネタにして笑いに変えていくのが、本当に彼ららしいなぁと思います。

メンバーが苦しんでるのにネタにするメンバーや、それを見て笑うファンなんて、不謹慎だと思われる方もいると思いますが、思い返したときにファンも大倉くん自身も6人も、みんなが笑い話にできるようにとやってくれた最大限のことだと思います。あの状況でこれ以上のライブはないと思います。

6人はエイターと大倉くんの、エイターは6人と大倉くんの、大好きな人たちの笑顔を守ろうと、たくさんの愛情を投げ合ってできた、熱さのあるライブだったと、わたしは思います。

 

ツアーが終わって、メンバーもスタッフさんもゆっくり休んでほしいなと思う…のですが、次の日から収録やロケで忙しそうですね。

本当に尊敬すると共に、事務所よ…休ませてやってくれよ、と思わずにはいられません。


そして、誰よりも大倉くんと大倉くん担の皆さんが早く笑顔になれますように。
担当さんからしたら、まずは心配で仕方なかっただろうし。彼の歌うはずのところを他のメンバーが歌ったりされたら、正直嫌な気持ちになったり、悲しくなっただろうし。誰よりも会いたかった人に会えなくて、本当に寂しかったと思います。
6人でもライブをしていいかときかれたとき、周りにいた緑色を身に付けた彼女たちが少しでも嫌だと意思表示して、それを見ていたら、わたしは絶対拍手できなかったと思います。
大倉くんご本人が1番悔しい思いもしてるでしょうし、いろんな人に謝って、自分を責めているかもしれません。でも、そんなことはしないでほしい。

会場を不安にさせないよう「大したことない」「寝てたら治る」、すばるくんなんて「人よりちょっとお腹痛いだけ」と言ってたけど、本当はお水も飲めないくらいやったんでしょ?その状態でステージに立つと言い続けた、あなたはプロで本当にかっこいい。

大きな声で、あっはっはっ!って元気に笑う声が聞きたいし、美味しそうにたくさん食べる姿も見たいから、今はゆっくり休んで、元気になってほしいです。

…って、思ったら復帰するからびっくりするわ。でも、大倉くんにしかできない、代わりはいない仕事があるから。無理だけはしないでね。

 

書きたいことを書きなぐっていたら、膨大な量になってしまって、自分でもびっくりしています。

いろいろ書いたけど、やっぱり7人がだいすきだし、これからも7人についていけば間違いないだろうなと、改めて強く感じたライブでした。また7人でステージに立つ姿を見させてください。見守らせてください。これからも7人がどんなおもろいことをしてくれるのか、楽しみにしています◎

1月17日のこと(2)

暗くなって始まったオープニング映像には7人が映っていて、頭に入らずぼぉっと眺めていました。
最寄駅から会場にメンバーがわいわいと向かう映像の最後は、実際のステージ裏の映像につながって、いつもなら7人が円陣を組むのを、円の外から見守るのが普段の流れ。
でも、この日は村上くんとすばるくんが間を空けてくれて、マイクも向けてくれて、一緒に円陣に入れてくれました。あんまり覚えてないけど、まるちゃんが「大倉の分まで」「大倉に届くように」って言ってくれてた気がします。

この辺から、あぁ本当に大倉くんいないんだ・・って、じわじわ実感がきました。

ステージに出てきた6人とぽっかり空いた大倉くんの場所を見たら、なんだかもう涙が出てきてしまって。いつもは大倉くん、村上くん、安田くんの3人でやるシーンも2人だし。本当にいないんだって。

そしたら、サビ前のところを


錦戸「愛する大倉のためだけ、全てを敵にしても守る」
すばる「愛する大倉のため、並ならぬ涙の賜物」

「「つっぱって!!!」」

 

って、歌詞を変えて歌ってくれて。
めそめそしかけていたのに、力強い2人の声と歌詞に気合を入れられて、そこから6人のためにも、大倉くんのためにも盛り上げたいと思い始めました。

6人は歌詞のいろんなところを「大倉」とか「腸閉塞」とかに変えて、大倉くんのうちわを片手にいろんなパフォーマンスしてくれて、本当に一生懸命盛り上げていってくれました。

いつものように苦しいことも、苦しいときこそ、笑いに変えていこうとしてくれる姿は、本当に頼もしくて。それに応えたい、付いていきたいと思わされました。
楽しい、面白いって思える場面も、たくさん作ってくれたし、笑っている自分がいたことも事実です。

“言ったじゃないか”の台詞のところを

 

渋谷「大倉、元気が出るライブって言ったじゃないか!」

村上「腸閉塞にならないって!」

横山「昨日まで元気やったやないか!」

錦戸「食べ過ぎたら腸が詰まるよって!」

丸山「言わんこっちゃなーーーい!!」

 

って、変えたところは臨機応変さにびっくり笑ってしまったし。

KINGにまでmy storeのランドセル少年たち3人が乱入していってたところは、かなり見ものでした。


でも、やっぱり大倉くんがいなくて。いないことを感じる場面がたくさんあって。
“Heavenly Psycho”の初め、村上くんのキーボードに横山さんのトランペットが重なって、すばるくんの歌声の後ろで、いつも響いてた心地いいバスドラは聞こえてきませんでした。

“侍唄”の最後は、みんなが大倉くんの方を見てタイミングを合わせて、それぞれの優しい音を出して、顔を見合わせるようにして締めるのに、みんなはどこか前の方を向いていました。

歌詞のパートを違う人が歌うのや、立ち位置が空くことは心の準備がそれなりにできても、ふいに「あ…」って、思うところがたくさんあって。そういうときほど、勝手に涙が溢れてきて、準備していたハンカチは、こんな理由で使いたくなんてなかったのに、びしょびしょになっていきました。

 

本編の最後になる“侍唄”の前、すばるくんが挨拶をしたとき。

最初は普通に話していたのに「今日は悲しい思いをした人もいると思うけど・・」って言った瞬間、すばるくんの目から、いきなり涙がぼろぼろこぼれました。

目が潤むとか、泣き出す前兆みたいなものが全くない、本当に突然のこと。

「あぁ、6人も申し訳ないだろうし、ツラくて不安で不安で、そして悔しかったんだ。そりゃあ、7人でやりきりたかったやんな」って。すばるくんのあの姿を見ると、どれだけ張りつめてたんだろうかと心配する反面、それを押し殺してみせてくれたステージでの強くて優しい姿は、本当に頼もしくて、かっこいいプロのアイドルだと誇りに思いました。そして誰より大倉くんが1番悔しくて、ベッドの中で自分を責めているんじゃないかって。

7人のことを思って、また涙が溢れ出してきてしまいました。

1月17日のこと(1)

いつもはtwitterで140文字でお話してるのですが、どうしても1月17日のことを残しておきたくて、書かせてもらいます。

誰かに伝えたいとかじゃなく、感じたことを自分のために残すので、読まれて不快な思いをされる方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。
わたしは安田さん担当なので、とやかく言わないでほしいって方もいらっしゃるかも。
でも、それでも残させてほしいです。

2016年1月17日。この日は関ジャニ∞の元気が出るLIVE‼の最終公演日でした。

 

この日は1人で入ることになっていたので、調子に乗っていろんなお友達と会っていたら、遅くなってしまい、開演15分前の15:45頃に会場に入りました。

「早くしないと、開演前の注意の映像流れてしまう!」と、少し焦りながらもササッと双眼鏡やうちわの準備を整えました。
オーラスなので泣いちゃうだろうな、とお気に入りの青いハンカチも出して。

しばらく待っていると気付くともう開演時間の16時で、何かあったかな?と思っていました。

そうしたらメインステージに人が出てきて。全員黒のパーカーを着ていたので、最初はスタッフさんかと思ったのですが

それは、わたしのだいすきな人たちでした。

気付いた瞬間に周りの温度が下がった感じがして、とっさに「え、こわい…」って言葉口走ってました。
さっきまでワクワクしていた気持ちなんて、もう一切なくなって、年末からずっと脱退、解散と他のグループで見ていた文字が頭をよぎったし、何か事件や事故かとも思ってしまいました。
無意識に立ち上がっていて、目立つキレイな金髪の彼がいないことに気付いたのはそのとき。

村上くんが話し出して、正確な言葉は記憶がないけど

大倉くんが急性の腸閉塞になって、ステージに立てないこと。
本人は最後まで立ちたいと言っていたけど、ドクターストップがかかったこと。
6人でライブをしていいか、みんなと決めにきたこと。

みんながいいよって言ってくれるなら、自分たちも全力でライブがしたいこと。

それが大倉くんのためにもなると思っていること。

 

ということを、いつも通りの口調で伝えてくれました。深刻な雰囲気にならないようにしてくれていたのかもしれません。


わたしの中では、頭にあったことが現実にならなかったという、ほっとした気持ちが一瞬だけ、本当にスッと駆け抜けて。それからは、なんだか呆然としてしまいました。

お隣の席が大倉くん担当の高校生っぽい2人で「うそ…なんでなん、嫌やぁ…」って泣く声が聞こえてきて。斜め前の大倉くん担当のお姉さんは、崩れ落ちそうなのをお友達に支えられながら、静かに涙を流していて。
それでも「6人でもやって…」って言ったり、泣きながらライブを行うことへ対して拍手をしてくれていたから、わたしもハッとして一緒に拍手を送りました。

それから「ちょっと衣装に着替えてくるな!」という彼らを待つ間は、あまり何も考えられなくて、ぼんやりしていました。

始まったら7人で出てきそうな気がしてしまって、本当に6人でやることを信じられなかったのか、信じたくなかったのか…とにかく何も考えられなかったという感じです。